そうだ、コミケ行こう
そうだ、コミケ行こう。
そう思い立ったのは12月27日の昼間だった。
特別な理由は何もなかった。時期的にTwitterの名前に頒布スペースを併記しているアカウントを見かけて、「この日のこの場所に行けばこの素敵な絵を描く人の本が手に入るのか」と思ったのがきっかけと言えばきっかけか。
行くと決めたら早いもので、わたしはあっという間に行きと帰りの交通手段を確保し、ついでにダイナーも予約した。完全に勢いだった。
とはいえさすがに代金を支払う段階では迷った。そもそも行く目的が曖昧極まりない。しかもそこに行ったところでわたしの好むようなものがあるのかわからない。それどころか「読めない」本のほうが圧倒的に多いだろうことは予測できていた。
それでも最終的に背中を押したのは、「このきっかけを逃したら、わたしは二度とコミケに行きたいと思うことはないだろう」という確信だった。
わたしがカタログを手に入れたのは29日だった。以前販売しているのを見た記憶を辿り、仕事を納めたその足で本屋に行ってみると果たしてカタログはあった。しかもすでに開催されていたため半額で販売されていた。
想定外の厚さと重さと中身に面食らう。意外にアナログなところがあるのだと思った。そしてサークルカットを読んでいると、どこか後ろめたいような気持ちになった。
あまりの重量に躊躇ったが、完全に初心者であるわたしはそれを持ってゆくことにした。
ところでわたしは参加するにあたって、ちっともドキドキもワクワクもしていなかった。前日に眠れなかったのは期待で胸を膨らませていたからではなく、バスの居心地が最悪だったからだ。それは東京に着いてからも、会場に着いてからも変わらなかった。ただ、ネットやテレビで見ていた光景の中に自分がいることが不思議だった。ビッグサイトは本当によく見るあの建物だったし、本当にたくさんの人が並んでいたし、スタッフさんは本当にこういうことを言うんだと思っていた。自分の意思ひとつでここまで来たという事実に、どこか呆然としていた。
目当てのジャンルのおおよその位置だけを把握して、あとは適当に回ると決めていた。
前述のとおりわたしには「読めない」本が多いのだけれど、別に不快感はなかった。それよりもあれだけの人の中で、自分と同じ感覚、同じ温度で好きな人と出会えたのがとてもうれしかった。それだけで行った甲斐があったと思う。
特別な理由もなく行くと決めたと書いたけれど、たぶんわたしはエピソードを欲していたのだ。わたしがその物語に惹かれる理由は、結局エピソードと世界と設定なのだな。
その他気づいたこと。
創作の意義や意味に触れることができて本当にいい経験だった。この先コミケ、もしくは同じようなイベント参加するかどうかわからないけれど。
ものすごく好きな絵を描く人「今度のイベントで本出します!」
わたし「えっ」
おわり。