A Day in the Life

フィクションの話をしてるんじゃない。現実の話をしているんだ。

刑事ドラマとSFと仮面ライダー

仮面ライダードライブという作品は、わたしが久しぶりにハマった、最も好きなライダー作品であり、いつか総括できればと考えている。そのためにも現時点で感じていることを書き留めておこうと思う。ドライブについての記事なのにタイトルがオーズっぽいのは気にしないでほしい。

 
19話まで終了した時点で感じた作品のテーマは「刑事ドラマ×SF×仮面ライダー」。この三つの溶け込み具合がとてもすごい。
もともと刑事(警察)もSFも、仮面ライダーとは親和性は高くて、仮面ライダーはSFの一種と言えるし、警察と連携をとるライダー(クウガなど)や、主人公ではないライダーが刑事である設定の作品もある(アギトの氷川やダブルの照井など)。
わたしが驚いてるのはSFと刑事ドラマの要素の溶け込み具合だ。
 
仮面ライダーが刑事である設定はいくつもあると書いたけれど、キャラクター設定が刑事であることと、刑事ドラマのフォーマットを仮面ライダーという作品に落とし込むことはまるで違う。刑事ドラマにはいくつかのお約束と裏切りがあり、作品によってカラーも違う。ベタな二時間サスペンスから硬質な雰囲気なもの、トレンディドラマのような軽いノリのものまで様々だ。
 
泊進ノ介は、こんなことを言うと俳優さんに失礼なのだけれど、イケメンすぎるイケメンではないし、テレ朝刑事ドラマに出てくる若手刑事風で、見た目はそちらに寄せたのかな、と思う。
過去に失敗をしてやる気を失くしているが、実は能力の高い刑事というのも、わりとありがちな設定だ。
 
かくしていかにもベタだけれども少しライトな刑事ドラマ風に始まったドライブは、最初の頃は「法や人間の武器で対処できない怪人を、刑事であり仮面ライダーである主人公が倒す」「同時に、主人公が再生してゆく過程が描かれる」という、刑事ドラマの延長線上にある物語だった。
 
ところが10話を過ぎた辺りから隠れていたSF的要素が頭をもたげてくる。
人類の敵であるロイミュードは人間に造られ、反旗を翻したというSFの定番設定だ。彼らが人間を模倣することが人間に大きな影響を与え、事態を複雑化させてゆく様はSF的であり、また刑事ドラマとして見た時に奥行きが生まれていると気付く。
 
たとえば14・15話では、過失とはいえ恋人を殺してしまった女の記憶をロイミュードが奪う。女は殺したことを忘れてしまい、「女が男を殺した」という単純な図式が見えなくなった。
通常の刑事ドラマだとここで頭を打ったり、心理的な自己防衛反応を起こして記憶を消したりする。上手く描けばとても深いドラマになるが、下手をするとご都合主義と言われてしまうそれを、SF的飛び道具のロイミュードのせいにして違和感を払拭している。
そしてすべてを見抜いた進ノ介が真実を突きつける瞬間、刑事ドラマとしてのカタルシスが生まれる。
 
この他にも人間が、その人間らしい思惑からロイミュードに協力するエピソードがいくつもあって、ロイミュードのSF的な「人間を模倣し、進化する設定」と、刑事ドラマ特有の「犯罪が発生することで生まれる人間ドラマ」双方に影響を与えている。わたしはSFには疎いし、刑事ドラマも詳しいわけではないけれど、ここまで親和性が高いドラマが見られるのは予想外だった。
 
事件ものとSFの組み合わせの物語は珍しくないけれど(怪奇大作戦など)、わたしが驚いてるのは相互に影響を与え合っていて、それがドラマを紡いでいることだ。愚かな人間が起こした愚かな事件はロイミュードに変化をもたらし、そのロイミュードによって人間も変化してゆく。どちらにも。よくも悪くも。
 
そういった構成のためか、ロイミュードが一方的に悪いとは言いきれない部分もある。刑事である進ノ介は正義ではなく市民(人間)を守るというポリシーを持っているのだけれど、逆に考えればロイミュードが人間を傷つけなければ和解できる余地がある、ということなのだろう(この辺り「ロイミュードはすべて許さない」と言い切る剛が登場したことではっきりした)。
 
刑事ドラマとSFをつなげた仮面ライダーの物語が、いったい何処にどう着地するのか楽しみにしている。