A Day in the Life

フィクションの話をしてるんじゃない。現実の話をしているんだ。

それはあまりに近すぎる

変身アイテムがしゃべったり、主人公の相棒が無機物という設定はもともと好きなジャンルだった。リュウケンドーのゲキリュウケンや、キバのキバット牙狼のザルバとか。
だからわたしがドライブを見てベルトさんを好きになるのは必然なんだけど、それにしたって好きすぎる。おかしい。
で、上に挙げた彼らとベルトさんの違いはなんだろうと考えた結果出たのは、「人間」とのあらゆる意味での距離の違いだった。

彼らはそもそも人間じゃなかったり、もともと人間だけどあまりに昔すぎて本人すら覚えてなかったりする。人間とは別の生き物で、彼らが彼らの姿でいることは当然で、苦痛ではない。もしくは人間だったことを覚えていなければ、比較して苦しむこともない。「人間」であることと距離がある。
彼らに比べるとベルトさんはあまりにも人間に近すぎる。精神的にも、時間的にも。
人間でなくなったのはたかだか15年前だ。人格を損なうほどの時間ではない。精神的には人間そのものだと言っていい。その「人間」との距離の近さが生々しくて、痛々しい。
たかだか15年前だから人間だった頃を知ってる人がいて当然なんだけど、本当に知ってる人(ロイミュード含めて)が出てくる展開はなかなか残酷だと思う。客観的に見ているわたしが勝手に思ってるだけで、ベルトさん本人は思ってないだろうけど。

以前自分がベルトさんを好きなのは哀しいからだと書いたけれど、哀しさの内訳はこんな感じなんだろうな。不可逆の過去を自覚している残酷さを思うと哀しいし、せつない。

これだけベルトさんの哀しみについて語っているけれど、わたしが勝手に考えているだけであって、本人はその哀しいと思うところを全然見せてないからね。そこが本当好きですね。