A Day in the Life

フィクションの話をしてるんじゃない。現実の話をしているんだ。

対象外ということ

5日ほど前に書いた

対象外の悲しみ - A Day in the Life

という記事が前提の話なんだが、一言で言うと「楽しみにしてたイベントの対象が子どもだけだったので参加できずとても残念だった」っていうだけの内容で、これから書くことと重複しているので別に読まなくていいです。そういうことがあったってことだけ頭に置いてもらえれば。

 

わたしはずっと「自分は対象外である」ということを意識して生きてきた気がする。

仲間に入れてもらえなくても、誘ってもらえなくても当然で、何かを期待してがっかりするのを徹底して避けてきた(だから自分を受け入れてくれたコミュニティには特別な愛着を持っていたし、今でも大事に思っている)。

社会人になって何年も経過して、その対象外であるという意識を忘れていた。学生でなくなるとそういう風に感じる機会はずっと少なくなる。わたしはもうすっかりそんなものはなかった、たいしたことではなかったというように振る舞っていたのだ。

でもその意識は心のどこかにずっと降り積もっていて、確実にそれは「悲しい」という感情だった。

数日前の出来事はそれを思い出したきっかけに過ぎない。不意に「お前は対象外である」と真正面から突きつけられたから、何の防御態勢もとっていなくて、だから素直に悲しかった。

でも悲しかっただけじゃなくて、それまでこの手のイベントでそういう思いをしたことがなかったことにも気づいた。この一年間でいろいろなイベントに出かけたけれど、のけものにされていると感じたことは一度もなかった。子どもでなく、パパでもママでもないのに、ヒーローと握手したり写真を撮りたがるしょうもない大人でも、誰も「お前なんか対象外だ」とは言わなかった。

まあお金払ってるイベントなら当然なんだろうけど、ショッピングセンターや住宅展示場などで開催された、ガイさんやジャグラーやリクくんに会いに行ったイベントとかお金取ってないものもあるわけで。でも彼らも、「しょうもない大人」をのけものにする感じはなかったなあ。ちゃんと大人にも呼び掛けてくれたり、盛り上げようとしてくれてとてもうれしかった。きっとわたしは対象外にされなかったから、何度も参加したのだ(メインターゲットは子どもだからもちろん自重はしてたけど)。

たぶん救われていた。何かしてくれたわけじゃない。でもこんなしょうもないわたしを、心のどこかで悲しいと嘆いていたわたしを救ってくれたんだ、あのひとたちは。

お返ししたいな。返せないかもしれないけど、返したい。ありがとうと伝えられる機会があったら何度でも伝えたい。出し惜しみなんか絶対しない。